大台のお爺さんからのメッセージ
=故 田垣内 政一 翁の思い出=
( 略 歴 )
田垣内 政一(たがいと まさいち)。明治40年3月15日生。 17才の時、大台教会の創始者である 故 古川 嵩
氏の門徒として大台ケ原に入山。以来59年の間、故 古川翁
の意志を継ぎ、大台ケ原山山頂の大台教会を守り続け、その間、奈良県の依頼で雨量観測などをした。昭和58年永眠。
講談の後で、幾人かが氏と共に記念写真を撮影したり、話しかけたりしていた。2時間も熱のこもったお話をした後のこと、70才を越える体にはかなりこたえたであろうにもかかわらず、明るく、元気よく笑顔で応じていた姿が心に残っている。
一段落したところを見計らって声をかけ、僕の目的を告げ、写真を撮らせてもらった。(話を聴取した人の写真とプロフィールを添えることもレポート提出の条件になっていたのだ。)
氏は、大きな木の枝で作った一本足の人形を顔の横に持ってきて、にこやかに写真におさまってくれた。(『話のはじまり』の写真)
プロフィールを伺おうと思いメモを取り出したところ、氏曰く、
「あんたも、ここまで話を聞きに来るとはな。山が好きなんや。」
「はい、山に入ると落ち着きます」と答えると、
「少し待ってなさいよ」といって皆を送り出してから、
「急がないなら、奥の部屋でお茶でも飲んでいったら」といって、多分、氏の部屋であろう書物や資料のいっぱいつまった本棚と小さな机のある小部屋に通してくれた。
しばらくして、氏、というより田垣内爺さんは、やかんを片手に、湯呑みをもう一方の手に持って部屋に入ってきて、僕の前にひとつ、自分の前にひとつ、畳の上に湯呑みを置いて差し向かいで座り、熱いお茶をいれてくれた。
「山はいいねえ・・・」
「はい、山はいいですねえ・・・」
話はこのやりとりで始まり、山好き同士、年齢の壁があろうはずはなく、いつまでも話は尽きなかった。
ランプに照らされた田垣内爺さんの顔が、本当に嬉しそうでいきいきとしていて、大きな声でハキハキと喋っている姿は瞼の裏に焼き付いているが、よもやま話はもう殆ど記憶に残っていないのが残念だ。
しかしこの時僕の心に植え付けられたものは、とても大きな糧だった。
その言葉を忘れまいとしたために、他の話を忘れてしまったようにも思う。
先に紹介したお話の、書取メモの内容を確認してもらい、加筆、訂正してもらった後、田垣内爺さんが、
「この話は伝説ではないが、ぜひ多くの人達に伝えたいことなので、どこかに入れておいて欲しい」と言って、講談の合間にも雑談混じりに語っていた話を、ふたたび語ってくれた。
それが、以下の話である。
「大台教というのは、これといった御神体があるわけではなく、故古川翁はただ、大台ケ原をくまなく歩け、とだけ言いました。
いわば、自然が神様のようなものなんです。
『大蛇ぐら』から峪を見おろしますと、垂直に近いような絶壁にも大きな松の木がたくさん立っております。
台風が襲い、雨嵐が叩き、吹雪が舞う日もあるこの大台の厳しい自然の中で、よくもまああんな大きな松が倒れもせずに岩壁にひっついて立っとるな、と感心しておりました。
そこで、ある日絶壁をよじ登って松の木を見に行きました。
松の木に近づいて見てみますと、ああーこれであったのか、と深く心を打たれ、涙が出たもんです。
松の木はひとりで立っとるのではなかったんですよ。
松の木の根元には、笹がしっかり根を張っており、一掴みの土の上にも草が生えて小さな花まで咲かせている。
それらを苔がびっしり覆って、乾かぬように守っとるんですよ。
まず、松の種が岩の間に落ちて、わずかな土に根をおろし、そのすき間に水とともに流れた土がたまる。
土がたまるとそこに笹が根を張りめぐらして、また土がたまる。
その根の間に小さな草花が生え、苔が覆って水をためる。
松はより大きくなり、やがてそれらみんながしっかりと抱え合って、絶壁に立っているにもかかわらず、台風の時にも倒れない松の木になるのです。
岩のすき間がなければ、松の種は渓に流れたでしょう。
松が根をおろさなければ、土はたまらんかったでしょう。
土がたまらんかったら笹は生えんかったし、花も咲かん。
苔も付かん乾いた岩のままであったでしょう。
どれが欠けても絶壁の松の木は育たんかったのです。
人間も同じですよ。
皆で力を合わせなならん。
皆何かの役目を持って生まれてきとるのですから、いがみ合うたり、背中向けたりせずに、みんなでしっかり力を合わせて生きていかんと平和な世の中はできんのです。
ひとりひとりが、皆で力を合わせてやっていこうという気持ちになれば、それこそ台風が来ようが、吹雪が吹こうがビクともせんような世の中になります。
これが、自然から教えられた『愛』なんです。
これからは、あんたのような若い人達がしっかり力を合わせて世の中をつくっていかなならん。
こうやって膝突き合わせて話ができたのも大台の取り持つ縁。
今日はこの『大台の愛』をしっかり持って帰ってください。
そしてたくさんの人達にこの話を聞いてもらってください。」
こうして話し終える頃には、田垣内爺さんの瞳に涙が光り、僕もそれまでぎっとこらえていた涙がどっと溢れ出てしまった。
涙をぬぐう時に腕時計が目にはいって、もう真夜中になっていることに気がついた。田垣内爺さんは疲れも見せず、話すことは尽きなかったが、朝が早いだろうし、お暇乞いをすることにした。
「こんな時間まで居座ってしまって・・・今日は本当にありがとうございました。大台のおかげです。」
「ところで、あんたはどこに泊まりなさるんや。」
「バス待合所で泊まります。」
「あそこは泊まったらいかんことになっとる。今晩は仕方ないけど、気をつけて。次に来る時はここに泊まっていきなさいよ。」
「はい、今度はぜひここでお世話になります。」
「ところで、懐中電灯は持っとるんやろな。電池はええか。道はわかるか。」
「大丈夫です。夜の山道も大丈夫です。」
田垣内爺さんは、あれこれと心配してくれて、外まで見送りに出てくれた。
「気いつけてな」という声を背に、しばらく歩いてから振り返ると、まだ外に立っているので、中に入ってもらうよう手振りで示したが、立ったまま入ろうとしない。
多分僕が見えなくなるまで立っているつもりだろうと思って、急いで見えなくなる所まで歩いた。
バス待合所まではほんの数分だが、田垣内爺さんの言葉を何度も頭の中で繰り返しながら、ゆっくり帰った。
待合所のベンチに寝袋を広げ、横になってからもなかなか眠ることができなかった。
おわり

田垣内爺さんと筆者(当時)
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