第4号

最も神聖な季節

 ボーン!ボーン!ボーン!…夕方、どこからか太鼓の音が聞こえる。「おじいちゃん、あれ何?」
とおじいさんの周りに集まった子供たちが聞く。
 彼らは「カ・ム・ヤ(Ka-mu-ya:12月)」になると、毎年おじいさんが静かに語り聞かせる物語を聴きに集まる。それはホピの伝統だ。コヨーテの昔話、物語が毎年毎年繰り返し語られる。話の中には何かを学ばせるための寓話もあるが、本当の話も含まれている。読者の多くは古来の伝統を知っているだろうから、この目的をすぐに理解できるだろう。
「子供たちよ、外へ出て西の方角を見上げなさい。新月が出る頃だぞ」
彼は答える。
 彼はうれしくもあるが、同時に神聖な月が過ぎ、話の語り聞かせも終わることに一抹の寂しさを覚えている。子供たちがいなくなると寂しいに違いない。その気持ちを振り払う前に、彼はまた来年もこの子供たちと、多分何人か加わるであろう新顔の子供たちに話をしてあげられるよう、静かに健康を祈った。

 今の子供たちには他にもいろいろする事があるが、彼は自分がこの子供たちの年頃だった時のことを思い浮かべた。昔の12月はどうだったのか…。
 12月といえば、とても寒く、長く、退屈な月だった。何もすることがなかったのだ。それに恐ろしい月でもあった。伝統の慣習がきっちりと守られたからだ。ボール遊び、走り回ること、大声で話すこと、歌うこと、太鼓、踊り、地面を掘ることまで、多くのことが禁じられていた。また、日暮れまでには帰って家の中に居なければならなかったし、暗くなってから外へ出る時は魔よけのため、頬に墨を塗らなくてはならなかった。悪霊が呪いをかけるためそこら中をうろついているからだ。

「なぜこんなばかな迷信を・・・」と人は思うかもしれない。今の時代ではそんな慣習を理解するのはむずかしいが、昔は世界中でこの時期には特別な意味があったのだ。この時期は、新しく生まれ出るものに対する準備期間なのだ。母親に邪魔が入ると新しい生命は無事に生まれてこないだろう。新年のための種が蒔かれるのもこの月だ。
 母なる大地が新しい生命を生み出すために、何ものにも妨害されてはならない。

 無理に押しつけられた文化のせいで、今ではこの静かな神聖な月を本当に大切にする者は、村からほとんどいなくなってしまった。「お話」もラジオやテレビ、本など多くの新しいものに置き換えられてしまった。もう静かに歩くこともなくなり、何もかも速く過ぎてゆき、耳が割れるような、大地も揺るがすような騒音に囲まれている。
 野球、車、飛行機、不夜城。現代文明は母なる大地に穴を開け、傷つけている。その結果、私たち人類はすでに正常ではなくなっている。すべてのもののバランスが崩れてしまった。あなたも周囲を見渡して、自分なりに考えてみてほしい。見通しは暗いようだ。現代文明の誘惑は強く、それにうち勝って世界のバランスを保つには、もっと強い意志が必要だ。

「月が見えたか?!」おじいさんが言う。
「おじいちゃん、カチーナ(katchina:精霊)はいつ来るの?」ひとりが興奮して聞く。
おじいさんは頭をかきながら、みんなの期待にあふれる顔を見渡して言う。
「さあ、偉い人の信心しだいだな。みんなもうすぐキヴァ(kiva:地下儀礼所)に集まって祝福の祈りの羽根を作り、タバコを吸うだろう。そうすればカチーナは来るさ。」
「でももうキヴァでカチーナたちが踊っているのが聞こえるよ」
いちばん小さな子が言う。
「それは何かの聞き違いだろう。忘れたかな?この月は男の子や女の子が踊る月なんだ。お前たちの中にも踊る者がいるだろう。お前が聞いたのは多分キヴァで歌の練習をしている男たちの声だろう。
 それともカチーナたちが、お前たちへの手土産の食べ物を地下深くで用意しているのかもしれないな。」

 さて「パ・ミ・ヤ(Pa-my-ya:1月)」はカチーナの祭りと踊りの時だ。カチーナたちは宗教指導者たちによって目覚めさせられる。6つのキヴァに6つのグループが大集合し、祭りは日暮れから夜更けまで続く。みんなで楽しむのだ。特に子供たちが。
 我が母なる大地はこの時期は特に幸福にあふれ、平和に満ちている。諸悪から守られ、胎内にあふれるような生命を育んでいるのだ。

 また夢か、と言うかも知れないが、これは私たちの心がひとつだった頃、そんなに遠い昔の話ではない。バハナ(白人)の文化が、かつては美しく素晴らしかったものを破壊してしまった。子供たちは合衆国政府のせいで、学校や「ホピ部族議会と称するもの」といった白人の世界に引き込まれてしまい、ほとんど学校に閉じこめられっぱなしで、他のことは何も知らない人間となる。やがて高い料金をとられる野球のナイトゲームを見に行ったり、バハナの踊りなどに行ったりするようになるのだ。その結果、儀式に参加できる年齢になった頃には自分たちの文化への興味を失っている。
 子供たちは外から入ってきた制度によって私たちの手からもぎ取られ、幾世紀にもわたって私たちに繁栄と平和をもたらしてきた神聖なる慣習を理解する機会を奪われるのだ。

 私たちは伝統を守る自由だけがほしいのだ。この最も神聖なる季節、私たちの願いはこれに尽きる。

 1900年代初期に、すべての年間儀式を行うのは老人たちにしか許されない、という方針が合衆国政府により表明された。子供たちは力ずくで遠ざけられ、反対した長老たちは投獄された。正式な年間儀式は、長老たちと運命を共にし、死に絶えてゆくことになる。あまり深く考えない人たちは、バハナのさまざまな文化活動は無害で、活動を進めている本人たちも、良かれと思っているようだ。ところが実際には、彼らは私たちをグレイト・スピリットの道から力ずくで引きずり降ろそうとしているのだ。母なる大地と生命とのつながりは、ほとんど断たれてしまったと言わざるを得ない。

 世界はめまぐるしく変化している。そして人類は深刻な問題に直面している。今私たちが目にするものは予言されたとおりのものだ。だから真のホピはあくまで抵抗を止めないのだ。

 子供たちに、世界で起きている問題を見つめ、いま一度ホピの生き方を守ることの重大さを見直してもらいたい。私たちに生きる力を与えてくれた古来の教えを尊重することは、古き良き時代の夢などではなく、美しい未来の夢なのだ。

来た道を再びたどること

 来年に向けて静かに準備するためのこの神聖な季節に、重要なホピの指導者たちの話をいくつか取り上げてみたい。
 まず初めは、どこまでも頑固にホピの教えを守り通し、「反抗的な」ホピの戦いでその名を知られるユキウマだ。

 政府の手先新聞『カトクティ』の12月11日のニュースで、この季節に関しての伝統を紹介していたが、内容は間違っている。
 この時期は神聖だ。すべての動作はできる限りゆっくりと、静かでなくてはならない。すべての生命が母の胎内にあるかのように芽生えるからだ。何ものも乱されてはならない。
 村が健康な体のように健やかであるためには、父なる太陽と母なる大地、そしてすべての大自然の子供たちから成る生命の環(わ)に、私たちがどうやって編みこまれてきたのか、一歩一歩その足跡を辿る必要がある。こうして「ソヤル(Soyal)」の儀式はとり行われるのだ。

 この時期に語られる物語はお伽話ばかりではない。現代は物語をテープに録音したり、書き記したりすることが記憶に残す最良の方法だと『カトクティ』に記されているが、それは全く逆だ。
 私たちの記憶をそのような手段に頼るのは危険で、恥ずべき行為だ。将来子孫たちに影響する、創造主の偉大なる教えに従う生き方を、無視することになるからだ。
 もし私たちがグレイト・スピリットの道に背いたとしても、私たちの一部の者はしばらく生き残るだろう。そして次の世代、それがたとえ自分の息子や娘だったとしても、本や記録の中で私たちが「善き道」を守るための努力を何もしなかったと知れば、彼らは私たちを叩きのめし、家から追い出してしまうだろう。私たちは自らのために耐えなければならない。私たちに残されたものがたとえどんなに少なくなろうとも、最善を尽くさねばならないのだ。

 次の話はユキウマ(Yukiuma)という、アルカトラズ(Alcatraz)島に投獄されても、ものともしなかった男の話だ。彼のホワイトハウスへの冒険談を、ここで世界の人々、そして私たちの子供たちに読んでもらうことは、素晴らしい結果をもたらすだろう。どちらが正しいのか、自分自身で考えて答を出せるから。

 ユキウマの闘いは、ワシントンが作った「人造」の法律を、グレイト・スピリットの法の上に重ねようとする圧力に対して、強硬に反対したことから始まった。私たちひとりひとりが、この闘いが今の生活に実りをもたらしたのかどうか、よく考えなければならない。ユキウマへの攻撃は、白人の「操り人形」と化した一部のホピの悪意によって、彼が亡くなったずっと後でも続いており、それは「子供たちを私たちに反抗するように仕向ける」という形で続いているのだ。
ある者は、ユキウマが密かに学校制度や他の活動を受け入れたと言い、またある者は予言を取り違え、「いずれ髪の短い子供たちが私たちの耳となり口となる」とさえ言う。本来の予言は、「いつか自らの子供たちが敵になるかもしれない」と言っているのに。
予言の意味は、それをねじ曲げた者に都合の良いように変えられてきたのだ。

 しかしながら、政府の影響を受けて難しい立場に立たされた若者世代の中にも、本当のホピの心を持った若者たちがいる。私たちは、ユキウマの物語が彼らの進むべき道のりを示してくれることを願っている。

ユキウマという「反抗的な」ホピ

 伝統派のホピは「反抗的」と呼ばれたが、これは彼らが外圧に対して決してくじけなかったからだ。合衆国政府は、彼らの反抗がただ単なる無知の現れであり、彼らが選んだリーダー、ユキウマを「狂人」だと考えた。
しかし政府はその「狂気」の背後にある高貴な目的を見抜けなかった。

 なぜホピは政府がうまい話だと考える申し出を拒むのか?なぜホピは「反抗的」と呼ばれるのか? 1883年という早い時期に、人類学者フランク・カッシング(Frank Cushing)がホピの地を訪れ、国立博物館の展示品を集めた時、彼はこう言われて追い返されてしまった。
「よそ者よ、お前の嘘を私たちの耳に吹き込むのは、爪で火打石をひっかくようなものだ。仲間を連れて朝までに立ち去れ。さもなくば、モカシンの靴底でノミを蹴散らすように、お前たちを追い出してやる。」
ホピはなぜこんな反応をしたのだろうか?

 年が経つにつれて、政府役人が来て私たちの生活に干渉し始め、摩擦は大きくなった。そしてキームズ・キャニオンに政府出先機関が作られ、子供たちがそこの学校へ送られようとした時に、ホピの中に大きな分裂が起きてしまった。ロロルマ酋長と他の村の酋長たちがワシントンに呼ばれ、政府に協力することを強要された時、この分裂が大変深刻な問題であることが明らかになった。なぜならば、聖なる石板の守り手であるファイア・クラン(火氏族)によって選ばれた者、ユキウマがグレイト・スピリットの道を捨てることを断固拒否したからだ。

 政府役人たちは、近代生活の快適さよりも、ふんどしを着けることを選ぶ彼を狂人だと見なし、バカなひからびた老チンパンジーと呼ぶ者さえいた。狂人が、ましてや狂ったインディアンが合衆国大統領に接見できるなどとは誰も思わなかった。しかしユキウマは1911年3月、大統領と接見できる機会を得たのだ。

 接見の目的は何だったのか。政府はユキウマのことも、彼の守る予言のことも理解できなかった。
 しかし彼はリーダーであるという立場と頑固さゆえに、反政府ネイティヴのリーダーたちの代表と見なされ、政府は反体制の鍵を握る彼を押さえつけることによって、アメリカ合衆国の力と栄光を見せつけようとした。リーダーたちが栄光に目を向けなかったとしても、軍事力を無視するわけにはいかないはずだった。
しかしそのような戦略は真のリーダーには通用しなかった。政府のそんなもくろみをよそに、ユキウマは何にも全く動じなかったのだ。

 そして現在に至っても、彼は歴史書だけではなく、政府に丸め込まれた先進派のニュースメディアによってあざけり笑われているのだ。昨年は他のリーダーたちと共に新聞ネタにされ、権威の失墜を企てられた。このように政府が中傷するのは、ワシントンに連れて来られたことも含め、すべてはっきりした目的があった。それは彼が守る「ホピの生き方」に真っ向から反対することなのだ。

 そう、ユキウマは決して狂っていない。心の底からホピの生き方が正しい道だと信じ、弾圧や投獄、賄賂(わいろ)、ごますりにも、彼の信念が揺らぐことはなかったのだ。しかし政府にはそんな彼が理解できただろうか。

 彼の通訳はポラッカ(Polacca)村のモック・セティマ(Mock Setima) で、キームズ・キャニオンの政府役人、ローシュ(Lawshe)氏が同行。責任者のロバート・G・バレンタイン(Robert G. Valentine)がユキウマに付き添ってホワイトハウスに向かった。

 大統領を待つ間に、ユキウマは慣例に従って説明を受けた。
「タフト(Taft)大統領は偉大な大男で、
その大きな身体と同じくらい大変親切で、
その親切さと同じくらい強く、
その強さと同じくらい賢い。
 だからホピが子供たちの問題を抱えているなら、そう話せばこの『偉大なる白い父』が最良の判断を下してくれるだろう。」
しかしそんな言葉も空しく、ユキウマはタフト大統領に面と向き合っても、これっぽっちも動ずることはなかった。政府の企みは、彼を兵隊の数と武器、そして白人の見せかけの優しさで圧倒しようとすることだった。
 どんな民族に対しても、彼らの最高位の首長たちを抑えつけ、処罰する力を政府が持っていることを示すのが、いちばん効果的だと言われていた。ワシントンに最高位の酋長を呼んで政府の力を示せば、政府に抵抗することがいかに無駄であるか、思い知らせることができるからだ。
この企てのもとにワシントンに呼ばれた多くの酋長たちは、へつらわれ、政府の力を見せつけられてしまった。「偉大なる白い父」と会見した後で、実際に戦争しようとした「バカな」あるいは石頭の酋長はほとんど居なかった。

 ユキウマにわずかでも望みが無かったわけでもないだろうが、両者の見解が一致することはあり得なかった。政府が述べたことは彼らの本音でないことは明らかだったし、さらに悪いことには、言葉の壁が深刻なものだった。ユキウマの話す言葉は、いわゆる「ハイ・ホピ」(高度なホピ語)と呼ばれるもので、最高に深淵なホピの教えを伝えるものなのだ。ホピの伝統的な訓練を受けた者にしか、その言葉に隠された深い意味を悟ることはできないのだ。
学校教育を受けた通訳は英語を話すのだが、当然ユキウマの言葉を完璧に理解することはできなかった。バレンタイン氏がユキウマに、通訳のように学校を出れば、政府にもの申すこともできると説得しようとしたが、何とバカげた説得だったことか…。
会見は失敗に終わった。通訳がユキウマの伝えたかったことをきちんと伝えることができなかっただけではなく、政府もユキウマの警告に聞く耳を持たなかったからだ。ユキウマが予見した害悪はすでに起きてしまい、それは今でもここにある。

 ユキウマの口から「偉大なる白い父よ…」という言葉が出るのが期待されたが、そんなことを言うはずがない。私たちにとって本当の父、太陽こそが最高の者だからだ。彼はきっと私たちの慣習に従って、こう切り出したはずだ。「あなたは、あなたの民の酋長か、最高位の者か」と。それから次に自分が自分の民の酋長であり、代表であることを告げたことだろう。
ユキウマがいちばん言いたかったことは、彼の民が白人にああしろこうしろと言われずに、生きたいように生きられるようにしておいてもらいたいということだ。
ホピは自分の子供たちが何世紀も生き続けていけるよう、自分たちのやり方で種の植え方を教えなければならないのだ。ホピが自らの道を歩み、成長に応じて儀式や祈りを学びながら、神聖なる生命のバランスを保ち続けることを、ユキウマは望んだ。彼は学校がこの生き方を崩し、摩擦や分裂を生むことを知っていたのだ。学校は伝統を途絶えさせ、人々はグレイト・スピリット、マーサウ(Masauu)の教えを忘れる。文化破壊の波は私たちの村にとどまらず、広まってゆくだろう。そしていずれ地球全体がバランスを失うことになるのだ。

 ユキウマの予知は村の生活のことだけではなく、世界中の人類に関わることだ。合衆国政府のユキウマ会談記録によると、彼が予言のことを語ろうとしていたことは明らかだが、通訳のセティマの口から出た言葉は混乱していた。彼自身も何のことか理解できなかったから、通訳のしようがなかったのだ。時は第一次大戦の前、たとえ正確に通訳されたとしても、当時の人々の理解をはるかに超える内容なので、意味の無い、気違い沙汰だと思われたことだろう。

 大統領はユキウマに、要求は分かったので彼や他の老人たちは古い生き方を続ければ良い、白人なら飢え死にするような砂漠で、トウモロコシやメロンを植え育てながら生き続けるが良いと言った。しかし子供たちには学校に行かせるよう強く要請した。もし子供たちを学校に行かせないなら、兵を送り込むと脅した。
しかしユキウマは頑として断った。彼はホピが新しい生活を受け入れたならば、堕落してしまうであろうことを知っていたのだ。

 翌月にも会見があり、執行官はあらゆる手を尽くしてユキウマの譲歩を求めたが、「石の心を持つユキウマ」を説得することはできなかった。
ユキウマは、大統領や執行官の話した内容をまとめた、覚え書きの受け取りも拒否した。覚え書きはすでに先進派となったユキウマの娘を通じて送られてきたが、ユキウマはたとえ娘の手からも、これを受け取りはしなかった。
 彼女は執政官に以下の手紙を添えて、覚書を返却した。

1911年5月11日
ローシュ執政官様

前略 先週月曜の晩に父が来ましたので、お手紙の内容を伝えました。しかし父は子供たちが学校に通うことを望まず、あなたに「自分の民は自分で守る」と言ったはずだ、と言いました。
 私は、それは彼らにとって良くないことだし、子供たちの中にも白人社会で学びたいと思っている子もおり、大統領もそれを望んでいると申しました。
しかし父はそれを望まないと言います。
 覚書も渡そうとしましたが、読めないからと言って受け取りません。
 学校に行ったことも無く、自分の民たちにも自分のようになってほしいと望む父を、私は哀れに思います。
 父はホピの伝統を捨てることは無いようですので、覚書はお返しします。

友人のマイラ・ジョージ(Myra George)より

 やがて時が経ち、ユキウマが彼の地から連れ去られ、裁判も受けずに同じ罪状で投獄されるのも8回を数えた。
 彼はアルカトラズ島の監獄にも1年間閉じ込められていたことがあり、政府はどうしても彼を説得できなかったが、それは彼の民への約束の固さを物語るものだといえる。

 1911年11月22日、スコット(Scott)大佐は隊を残し、2人だけ伴ってホテヴィラへ行き、ユキウマと話をした。彼らはそこで10日間もキャンプして、ユキウマから子供たちを学校に入れる許しを得ようとした。スコットは、許さないならば軍隊を呼ぶと脅しまでかけた。しかし4日目の11月26日、スコットは内務省宛に、今まで誰も出したこともないような奇妙な電報を打つことになったのだ。そこにはこう書かれていた。

−4日間にわたる観察の結果、軍医と私はユキウマの気が触れていることを確信した。彼はわざと役人に逆らっている。親切心や理屈というものは彼には通用しない。筋の通った話をしても、彼は魔女やあの世の話ではぐらかしてしまう。彼は子供たちを学校に通わせることに同意するくらいなら、死んだ方がマシだと本気で思っている。たとえ村の中に学校があったとしても。しかし、もし彼を力ずくで押さえ込んだとしたら、彼は屈するだろうし、政府は非難されることもないだろう。−

 内務省からの返答は直接スコット大佐に届いた。そしてその内容は、10歳以上の健康な子供たちを連れ去るよう指示するものだった。
 軍隊は突然の夜襲をかけて、村を囲った。
 ユキウマは大変落胆し、本当にこんなことをあの大統領が指示したのだろうかと疑った。なぜなら大統領は「体の大きさくらい優しく、優しさと同じくらい強く、強さと同じくらい賢い」はずだったからだ。
 ユキウマは、スコットが受けたのが本当に大統領命令だったのか確認するため、シュンゴパビ(Shungopavi)村のレイ・ラザフォード・デラニエマ(Ray Rutherford Derranyema)に、タフト大統領あてに手紙を書くように命じた。

1911年12月10日
ワシントンD.C. W・タフト、アメリカ合衆国大統領殿

拝啓 私はここにユキウマ酋長の命により手紙を書くことを大変嬉しく思います。彼はかつてあなたと接見し、膝を突き合わせて直に話をしたことをとても喜んでいます。そしてあなたが彼のことをよく理解していることも。
 あなたはここで何が起きているかご存知でしょう。彼の民は子供たちを学校に入れることを望んでいません。なぜならば、彼らの子供たちが、彼らの子供たちであるためには、男の子は畑で父親を手伝い、女の子は家で母親の手伝いをしなければならないからです。それが子供たちを学校に入れることを拒む理由です。
 言うまでもなく私たちはインディアンなので、白人たちのものである学校は、私たちには無用です。ユキウマ酋長には構わないでください。子供たちを家から連れ去らないでください。たった600人ではないですか。学校に行かなくてもいいではないですか。
 ユキウマ酋長は彼の民たちが怠けずに畑を耕し、トウモロコシや麦、芋、野菜を育てて、それをお金に換えて必要なだけの服を買うという生活を望んでいます。
 彼はホピの民が何ものにも害されることなく、人々や子供たちが大切にされることを望んでいます。私たちはホピの道を歩んでゆきたいのです。もちろん白人に友好的なホピの子供たちが学校へ行くのは構わない。しかし伝統派の子供たちは学校には行かせずに、家で父や母を手伝い、彼らの生き方を学ばせます。
 あなた方アメリカ人は自分たちの好きな道を歩めばいい。そして私たちホピ・インディアンもまた自分たちの道を歩むのです。

 先週、悲しい出来事がありました。キームズ・キャニオンの責任者、レオ・グリーン(Leo Grean、あるいはクレイン(Crane))が子供たちを学校へ連れて行ったのです。あなたがユキウマに兵を送ったのですか?兵の一隊がグリーンとここへ来ました。そしてホテヴィラで、伝統派がどう考えているのかをユキウマ酋長から聞き出していた男は誰ですか?ユキウマは彼に知っていることをすべて話し、その男はそれらすべてを書き写してあなたに送ったはずです。
 ところがこの責任者グリーンと兵たち、そしてその男は大きな間違いを犯しています。その男の名は分かりません。ワシントンD.C.から来たと言っていましたが、あなたがその男をユキウマのところに送ったのですか?あなたは彼に、ここへ来て騒ぎを起こすように命じたのですか?どうなのですか?ユキウマはこの手紙への回答を求めています。私に回答をよこしてください。翌日私がユキウマにそれを伝えます。
 私はウィンズロー(Winslow:地名)に行きますので、一刻も早い回答を求めます。今言えるのは以上です。さようなら

レイ・ラザフォード・デラニエマより
アリゾナ州トレバ(Toreva)、チモポバイ(Chimopovay)村

 投獄は何の役にも立たず、また大統領との接見も効果は無かったので、彼らはとりあえずユキウマをまた牢獄に入れた。彼は暴れたりすることが無かったために、内部では自由にしていた。クレイン氏は当時の様子をこう語っている。
 細い腕を両膝に回して床に座り、彼は言った「よく見ろ、わしがしていることは、我が民のためではあるが、それはまた同時にお前たちのためでもあるのだ。もしわしがお前たちの命令に抵抗せず、白人の生き方を受け入れたなら、すぐさま大蛇がのたうち、海が押し寄せ、私たちは皆溺れ死んでしまうだろう。もちろんお前もだ。だからわしはお前を守っているともいえるのだ。
 いつかわしも家に帰れるだろう。ここでは幸せになれないし、役立たずの老いぼれで、できることと言えば儀式だけだ。ワシントンはお前の代わりに別の役人をよこすかも知れない。そしてお前は、お前の民のもとに戻るかも知れない。あるいは政府はお前を解任するかも知れない。以前もそうだったから。
 お前も、もうここは長い。7つの冬を越えた。他の者たちよりもずっと長く居る。そしてお前もいつ死ぬかも知れないのだ。」

 1921年、クレイン氏とスコット氏はスネークダンス(Snake Dance)を見るためホピの村を訪れた。そこで彼らが見たのは、看守部屋に入れられた、年老いた反逆の人、ユキウマだった。彼らは記している。「ユキウマはやや飢えているようで、裸で、服や食べ物を拒んでいた。役人の回転イスに座り、裸足で、膝をあごの下に抱えていた。スコット氏は家に帰れるなら命令を聞くかと尋ねたが、「いや、聞かない!」と彼は言った。
 スコット氏はバカバカしくなった。「私はバカな小猿を見て思った。これが偉大なるアメリカ国民が、あるいはBIA(インディアン局)が、干からびた、取るに足らない小さな猿を服従させようとして、20年の歳月を費やした結果なのだ。」

 クレイン氏は彼のことを「狂人ではないが、失われた世界の幻影を追い求める野蛮人だ」と言い、ローシェ氏は「人はローマ法王に会うために、オールド・オライビの岩をひとつ掴みあげるかも知れない。クモがどうしたこうしたというホピの予言で、タフト大統領に会えるのだから」と言った。
 しかしユキウマはホワイトハウスで彼が握手したどんな人よりも、人間としての根の偉大さを持っている。彼は自らの内なる光の中で断固として生き、自分ひとりのためだけではなく、彼の民のため、そして子々孫々のために生きたからだ。

非法で非ホピな「部族議会」

 ホピ部族議会とは何ぞや? ホピ国の何を代表しているというのか? 何の働きをしているのか? 誰が、何の法律に従い、どんな方法でその組織をまとめているのか?
 これらの疑問は、ホピのリーダーたちが「操り人形の部族議会」と呼ぶ、おかしな新しい組織の、ほんの一部のことを問うているに過ぎない。

 『テックヮ・イカチ』の第1号で、私たちホピが3つに分裂していることを述べた。
伝統派(創造主や偉大なる精霊の教えに従って生きる者)
中間派(境界の上に居る者:ホピ部族議会を支持し、ホピを支配しようとする白人を最高の長と見なすが、表面上はホピの伝統にしがみついている者)
先進派(何が何でも部族議会を全面的に支配する者)
の3つだ。

 ではこの組織の成り立ちに着目してみよう。深く調べるまでもなく、この組織には深刻な二面性があり、間違いと横暴さにまみれていることが明らかだ。私たちはあなた方読者によく考えてほしい。部族議会は、その組織に所属するとされる人々を、正しく統治するのかどうか。

 まず選挙について見てみよう。1930年代のある朝、私たちは全員村の外れに招集された。私たちの前にはホットドッグの屋台のようなものがあり、白人女性がひとり、政府にいいように動かされている数人のホピと一緒に中にいる。
 屋台に進み出ると、私たち一人ひとりの前に白い紙が置かれ、そこに「+」と「0」の2つの記号が記されているのに気づいた。そこでどちらかの記号をマークするように言われたのだ。どちらも良いシンボルだとも言われた。
 私たちは女性に、一体これは何ごとかと問うたが、女性は「秘密です」と答えながら、どちらかを選べと言う。

 私たちは再度、これで何をしようとしているのかをたずねたが、彼女はそれ以上答えようとせず、私たちには知る必要がないと言う。そこで私たちは、説明しないのならどちらも選ばないと言って、その場を立ち去った。
 後になって、私たちはこれが「選挙」と称するものだと知った。そしてそれが、私たちの口となり耳となって働くはずの「ホピ部族議会」設立のための選挙だったということも聞いた。
 ここホテヴィラの村人400人のうち、投票したのはたったの2、3人だった。後日このような選挙がファースト・メサ以外の村々で行われたことを知ったが、6,000人のホピのうち、実際に投票したのはわずか100人か200人だったと聞いている。そこでこの選挙を成立したように見せかけるため、違法なことが行われたようだ。しかしどんな操作をしてみても、とても選挙というものが成立するような投票率でなかったことは明らかだ。
 票を数えた2人のホピのうち1人が証言したところによれば、BIA(インディアン局)が水面下で票を操作していたという。こうして「ホピ部族議会と称するもの」は誕生した。

 20年来ホピ部族議会の父と呼ばれ、作家でもあるオリバー・ラ・ファージ(Oliver LaFarge)が後に、「この部族議会は『違法な組織』だ」と述べている。
 さて、どんな違法があったのだろう。その犯罪に対してどんな処罰があったのだろう。

 いずれ場を改めて、この組織がいかに私たちの生活を脅かし、また白人自らの法律さえも破るシロモノだったことを明らかにしてゆこうと思う。それまでの間、読者には、なぜ政府がそのような組織を作ったのか、そしてなぜ「操り人形」(政府の手先)と呼ばれるようになったのか考えていただくことにして、この選挙について、どう感じたかを聞かせてほしい。

( 翻訳: 永 峰 秀 司 All rights reserved. )


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The shield symbol with its four circles in four quadrants means:
"Together with all nations we protect both land and life,
 and hold the world in balance."

4分円の中に4つの円のシンボルの意味

「私たちは全ての国の人々と共に大地と生命を守り、世界のバランスを保つ」