第2号

第2号のご挨拶!

 大変遅くなって申し訳ない。9月はいろんな騒動に巻き込まれて忙しかったので。良いニュースをお届けしたかったのだが、だめだったようだ。

 この村へ来る人は、天候のこと、作物のこと、きげんはどうか、暮らしはどうか、などをよく尋ねる。そこで、
「ええ、いいですよ。雨も良く降るし、果物、トウモロコシ、メロン、豆も豊作です。動物たちのための草も豊富です。それに政府と部族議会は私たちの尊厳を認めて、私たちの生き方に干渉しなくなったのです。」
 こう言えたら素晴らしいのだが、残念ながら現在の私たちは幸福とはほど遠い。雨が充分に降らないのだ。今年の夏は雨があまり降らなかったので、草も作物も伸びなかった。植え付けのシーズンも、春が遅かったために遅れてしまった。作物の敵は多く、手強い。私たちの気持ちがバラバラで、あらゆる秩序が乱れたため、祈りの力も衰えてきたからだ。

 面倒な問題はいつもBIA(インディアン局)や「ホピ部族議会と称するもの」から出てくる。いつも彼ら、政府の操り人形が伝統をけなし、子供たちをバハナの物質主義で洗脳しようとしているのだ。これこそ私たちが毎日直面している事実なのだ。
 すべてこんな具合なのだが、たまにはホピ部族議会側がすることにも、本来のホピの予言を支持する者に強く訴える、明るい面を見いだすことがある。

 彼らは私たちとの間にまさつが起こるたびに、何らかの提案をしてくるのだが、いつもまやかしのバカげたことばかりなので、私たちはたいてい聞き流してしまう。しかし、ある時の提案は私たちの興味を惹きつけた。その中身を吟味することで、ホピの問題を解決できるかもしれないのだ。

 彼らは「伝統を守りたいホピは、みんな完全な原始の生活に戻るべきだ」と提案した。白人の服や食物は一切排除して、完全な昔の生活に戻れと。もちろん家の建材も白人のものを使わないし、すべての子供を退学させ、政府や部族議会の仕事で生活費を稼いでいる者は退職だ。バハナの井戸から汲んだ水もダメ。車もダメ。バハナが作ったもの何一つ使ってはならない。(ここで忘れてほしくないのは、バハナの物はすべてバハナが私たちの土地から盗んだものから作られていることだ。)

 これは『分離』を意味し、神聖なる使命を果たすためのいちばんの方法かもしれない。この使命のために、私たちは数世紀にわたって生き、戦ってきた。また、それは本来のホピの生き方をしてこそ成就できる使命なのだ。バハナの生き方を好む者は、彼らの法の下で彼らの社会に溶け込めばいいのだ。
 また、これは自発的になされるべきだ。そうしてはじめて私たちは良い関係を保ち、幸せでいられる。もし、この計画が実行されなかったら、ホピ部族議会や政府が自らのシステムの間違いを修正すべきだ。そうしなければ、私たちは国連か国際司法裁判所に抗議を持ち込む。
 しかしこの問題を乗り越えたとしても、私たちの背後に3つの民、私たちが失敗した時に世界を清めるためにやってくる者たち、が立っている。後は大自然がそれを引き継ぐことになるだろう。

 さてこの瞬間にも、私たちは村にとどめの一撃を加えようともくろむ血のつながった兄弟姉妹たちや、BIA(インディアン局)やホピ部族議会に、力ずくで侵略されつつある。彼らこそが私たちの最大の敵なのだ。

 私たちは人間として、そのような力ずくでの方法は避けてきた。なぜなら、そのようなやり方が悲惨な結果を生むことが、予言や古来の伝説に明確に記されているからだ。
 常識を持ち出すまでもなく、このようなやり方が、文化を破滅に導くことは分かり切っている。

 ここひと月の間にも、村の上下水道施設に関して3件もの事件が起こっている。
 はじめの2つは暴力沙汰だった。衝突騒ぎは政府の操り人形のホピが起こし、同じく政府手先のホピの警官が出動した。最終的にホテヴィラの『バハナ伝統派(と私たちは呼ぶ)』が勝利をおさめ、逮捕者を出すことなく、パイプラインを敷いた。

 電気設備が止められたことがあったが、完全に止めるつもりではないようだ。このようなことは、少しの無神経さと警察権力を使って、彼らの思い通りにできる(本当はワシントンD.C.の思い通りなのだが)。自分勝手な考えで伝統の生き方を妨げているのだ。

 もしこのような者たちの思い通りになれば、伝統派ホピはいなくなるまでつきまとわれるか、喉かき切られて沈黙させられるか、ふたつにひとつしかない。

なぜ伝統派の村は文明の利器を拒むのか

 さて、いつも質問されることがある。それはこうだ。
「なぜ伝統派ホピはバハナの文明の利器を拒むのか?」
 バハナの生活に浸っている人や外国の人には、はっきりとは理解できないだろうが、私たちホピとは、それぞれ独立した村々に住みながら、似た言葉を話す民族の集合体だ。
 各々の村のリーダーは、太陽と月が定める季節ごとの一連の儀式を通じて、ホピとしての生活パターンを全うする役目を負っている。この一連の儀式によって、すべての大地と生命が完璧なものとなるのだ。私たちはある目的のために創造主によってこの地に遣わされた。すべての地球上の人間、どの人種も同じだ。だから私たちは周りの自然、乾ききった砂漠、岩、森、草花、動物、鳥、その他もろもろの生き物たちと深く関わり合うことができるのだ。現代人が忘れてしまった大切なものと。
 もしホピ部族議会が企むように、今私たちが武力によって外部の支配下に置かれ、近代生活を強いられることになったら、私たちは慣れない環境の真っ只中に放り出される運命だ。土地を区分けされ、税金を払わねばならなくなる。しかもそんなお金は、新しい環境に慣れることさえ困難な私たちが、白人の仕事をしない限り支払えないのだ。

 文明化にはさまざまな側面があると思う。ある人にとっては、たくさんの利器に囲まれ、快適なものだろうが、ホピの地を訪れる人たちは、私たちがとても素晴らしい生き方をし、偉大な何かを持っていると言う。
 私たちの文明の本当の価値とは、平和にこそ見出される。争いや犯罪は全くといっていいほど無いし、法律、規律のたぐいも、裁判所も刑務所も必要ない。そのような締め付けは、ズル賢さと、贈収賄がはびこる世の中にしてしまうだけだ。私たちは大気も水も、他のいかなる自然環境も壊すことなく生きてゆくことができる。

 外からの圧力が無ければ、今でもこのような生き方ができるのだ。真のホピはまだ過去の遺物ではない。今も戦いは続いているのだ。私たちと我が子たちは、外から入ってくる魅力ある物の数々を拒否しているが、それが間違いでないことを祈る。私たちはこの生き方こそが人類にできうる最高の生き方だと信じている。そしてもし一旦失われたら、いくらお金を積んでも元には戻せないものだと確信する。

水論争は今に始まったことではない!

『ホテヴィラに水論争巻き起こる』−1975年9月25日付、イーグルパペットプレス(※政府の手先の新聞、という意味か。訳者注)
 最近になってバハナの世界からやって来た人たちは、これを新しい問題のように受け取るかも知れないが、これは何も目新しい問題ではない。

 最近ホテヴィラに新しく引っ越してきた人たちがいる。おそらくバハナ社会という怪物から逃れたいのか、「高水準の生活」環境に馴染むのが不可能と思い知ったのだろう。それとも白人世界の征服に失敗したのか?
 いいや、彼らは、自分たちの家こそが、より豊かな糧が得られる場所だということを悟ったのだ。何でも掘り起こして施設を造らないと実りはないという言葉に負けず、おとなしく、つつましく、努力していれば。

 メアリー・アン・フェルター(Mary Ann Felter)は純粋のホピで、ホテヴィラ生まれ。両親の反対を押し切ってフェルター氏と結婚。夫婦とも「政府の手先会議」に属している。
 彼女は言う、「今水道がある所をあちこち思い起こしても、こんな問題が起きた所はどこにも思い当たらないわ。水道工事は初めから大変な仕事だっていうことは分かっていたの。」

 ここでは他の村人たちの意見を聞くこともなく、水パイプの敷設の要請が出されたため、このプロジェクトが完遂するまでに、多くの衝突が起きた。政府手先のホピが仕事を続けられるよう、彼らを守るために部族議会の警察までかり出された。

 村の独立を守ろうとしている伝統派ホピは逮捕という扱いまで受けてしまったというのに、明らかに酒を飲んでいると分かる手先ホピを逮捕しなかったのだ。居留地では、政府によって酒は禁止されているのに、警官たちはその自分たちの法律さえ守れなかったのだ。さらに言えば、警察権力はホテヴィラ内には及ばないはずなのだ。

 メアリー・アン・フェルターは続ける、
「これで終わりにしてほしいものだわ。家に水道をほしがっている人はたくさんいるもの。
私にできることは、頑張ってほしい、って力づけるだけ。でもひょっとしたら、私が間違ってるかもしれない。
 古来のホピの生き方というのは、私はよく知らないもの。
でも正しいことをしてるって信じてるの。
私が年取った時に、ああキャサリン(Katherine Cheshire:訳者注)の言うことを聞いとけば良かった、
って思うかも知れないけど・・・。でも私は今若いし、物がほしいのよ。」
 誰にでも弱みはある。バハナも言うように、「エサをくれる手に噛みつくものではない」と思うかもしれない。しかし残念ながら、メアリー・アンが年を取り、もっと賢くなった時には、もう手遅れなのだ。

 この問題について詳しく知らない読者のために言うと、これに似た事件はここ数年で何回も起きているのだ。私たちは、水道その他、近代設備をほしがる人たちに、なぜこの村がそれらを拒否しなければならないのか、何回も説明してきたのに、誰もそれを聞いてくれなかった。
 私たちは少なくとも4回、土管を掘り起こしたり、除けたりしなければならなかった。それでもまだ分かってくれないのだ。フェルター氏は、「今水道のある所ではこんな問題が起きたことがない」と言った。バカな!そんなことはない。問題が起きないように、人目につかない夜や、人が眠っている間や、儀式にかかりきりで忙しい時を狙って、こっそりパイプを引いたりしているからだ。人類のために祈っているその時に、祈りの力を弱めるようなことをしているのだ。

 私たちは、自分たちが一体誰なのかとは、何を言っているかではなく、どう行動するかによって決まることを学んだ。
 ほんの数週間前のこと、ある政府手先ホピが、ホピの長老と訪問者が会合しているところに、テロ行為をしかけたのだ。長老のひとりは銃口を突きつけられ、蹴り回された。一度発砲されたが、ケガ人は出なかったものの、酔っぱらったガンマンは逮捕もされなかった。

 これは誰かの陰謀だったのではないか。この話について読者にどう思うか聞いてみたい。
 どちらの根本原理が恒久不変なのか。
村を創った人たちか、はたまた新しく村に来て村を台無しにしている人たちか。

先進派新聞が伝統派公報を歓迎

 『カトクティ=政府に操られている新聞(先進派新聞)』は、この『テックヮ・イカチ(伝統派公報)』を「政治的、宗教的、しかも急進的だ」として諸手をあげて歓迎した。彼らは私たちの文章を「1960年代のアングラ新聞のような」と称したが、そこには伝統派ホピの「歌」があることも認めざるを得ないはずだ。今直面している問題が1960年以前にまでさかのぼることは、誰もが知っている。そして申し訳ないが、針はレコードの溝に置かれ、私たちの歌は変わらぬメロディーを奏で続けるだろう。真実の音は『カトクティ』には出すことはできない。私たちには分かっている。

 なぜ『カトクティ』が、バハナのレポーターを使って『テックヮ・イカチ』のことを調べさせたのか分からないが、私たちは常にホピらしくありたい。この『大手』を目指す新聞が、「若い白人レポーターが伝統派公報に及ぼす効果」に、藁にもすがるように期待をしているのはお笑いだ。

 9月18日付けカトクティの『新しい声、古来のメッセージ』のほとんどは、ただ反対せんがための反対で、論ずるに値しないが、「私たちが一体誰なのか。それは『何を言っているかではなく、どう行動するかによって決まる』ということを、いつ学ぶことになるのだろうか。」という記述は肯定できる。
 彼らは「ホピの生き方には最大の敬意を表する」らしいが、これが本当かどうか、『カトクティ』と『テックヮ・イカチ』の読者の判断に委ねよう。外からの意見を歓迎する。

誰が本当にホピの考え方を尊重しているか

 少しホピの真価について考え、自分なりに答えを出してほしい。まず、伝統派ホピは平和に、そしてその名に恥じない生き方を求める。人間が作った法律に左右されず、グレイト・スピリットから授かった自分たちの法律を守って、自分たちのやり方で生きてゆきたいのだ。

 伝統派としては、もし相手が私たちを打ちのめし、私たちが選んだ生き方をぶち壊そうとしているのでなければ、これらの衝突事件には関わりたくなかったのだ。
 私たちは大地と生命を守るためには、力強く立ち上がる。地上の、そして宇宙のすべての生き物が、暴挙に対しては我が身を守るために立ち上がるように。

 それに対する先進派ホピの反発は、物質主義に浸りながらも、同時に少しは伝統と関わっていたいという、その浅はかな理由と同じ程度で、大したものではない。伝統生活ではほしい物が手に入らないので、代わりに刑務所や警察といったものがある権力社会に加わったのだ。そのために伝統派の教えをないがしろにする勢力に加担しなければならないのだ。

 これと伝統派を比べてほしいものだ。私たちは我が身と我が生き方を守るために、先進派から受けている暴力や脅しに抵抗しているだけだ。

 私たちはこの問題に関わるすべての人によく考えてほしい。私たちの行動を見て、私たちが何者であるのか判断してほしい。公報第1号にあったように、ホピたちが安心して暮らすことができないのは、誰の過ちなのか、すぐに分かるはずだ。
 ひょっとしたら、人間が作った、先のことも考えていない計画に従わず、創造主の示す道を進む私たちが間違っているのだろうか。読者はどう思うだろう。

柵のゲートは開いている!

 『カトクティ』はなおも「『テックヮ・イカチ』のメッセージの根底にあるのは『私たちが酋長だ。私たちを敬うよう要請する』ものだ」と述べているが、ホピは要請などはしない。ただ、聞く耳を持った者たちが、グレイト・スピリットの示す道を尊重し、末永くすこやかな生活ができるよう望み、教えを説くだけだ。
 ホピは自分たちの環境を守りながら暮らしたいだけで、バハナのように人を法律、規律によって無理に自分たちの環境に合わせようとは思っていない。
 ホピは世界の終焉を伝える予言者ではない。もし私たちがグレイト・スピリットの言葉に耳を傾けず、目覚めることなく、生き方を修正しないならどうなってしまうのか、警告しているだけだ。

 『カトクティ』が非難しているように「ある伝統派羊飼いが牧場の柵のゲートを開けっ放しにした」のは事実だが、実はそれはずっと開いたも同然だったのだ。なぜなら柵などもとより無かったはずなのだから。

今一度、考えてほしい!

 これまで3版の『カトクティ』が出版されたが、『テックヮ・イカチ』の真の目的を検討するというより、歪曲するためにあるようなものだ。
 多分私たちの考え方に馴染みのない彼らのレポーターは、私たちのことで飛躍した解釈をし、そのエサに編集者が食らいついたということだろう。

 私たちがこれからどうしてゆくか詳しくは次回に譲るが、今ひとつだけ言っておこう。彼らの見当はすべて外れている。私たちこそがホピなのだ。私たちがもっとも伝えたい真意について彼らが興味を示してくれることを望む。

合衆国政府、女王に手先を送る

 ホピ部族議会の議長、アボット・セカカプテワ(Abbott Sekaquaptewa)がイギリス女王を訪問したという情報が入った。彼はホピの伝統衣装、モンゴホときらびやかな飾りをまとい、ホピ族の大酋長のように振る舞ったらしい。一方ここホピの地では、ホピの伝統を守ってもらうためだと称して、警察を使い、彼女の同郷人、ATVカメラマンに圧力をかけたらしい。
 なぜ彼はそんなに神経をとがらせたのだろう。罪悪感が表に出ないよう、お目付役のサルでも背中に負ぶっていたのだろうか。そんなことより、自分が伝統派ホピたちを物質主義で支配しようとしたことが、彼女の耳に届いていなかったかどうかをもっと心配すべきなのに。
 後日改めて彼が女王に実際何を言ったのか、読者にお届けしたいと思うが、彼は9月15日、まるで米国代表の一員であるかのように、合衆国独立200周年記念式典のオープニングのためにロンドンに行った。

 彼には宗教指導者よりも、宣伝マンとして合衆国代表役をやっている方が似合っている。全く冗談を地で行っている。
 私たちにとって指導者とは宗教的意味合いを持つ者で、宗教的なものである以上、いかなる場合においても宣伝用に使うことは許されない。

伝統派リーダー、英国撮影隊を歓迎

 この春、4人の英国映画会社の撮影隊がホピの地を訪れた。彼らの訪問は、2年前に始まった計画のクライマックスとなるものだ。彼らのメンバーが私たちの生き方を知って、映画の題材として面白いと思ったのだ。彼らはこれまで毎年何本もの質の高いドキュメンタリーをロンドンATV局との契約で作っており、他の国でも先住民たちをフィルムに収めてきた。

 ところがここで彼らは大きなショックを受けた。彼らは私たちの伝統を尊重し、真のリーダーを通じて仕事をしたがっていた。しかし悲しいかな外国から来て、本からの知識しかない人たちのこと、何と政府の手先のホピ部族議会のオフィスに直行してしまったのだ。長い話に我慢強くつき合い、待たされ、あげくに不審に思い、失望してしまった。そこで出逢った人たちは、話に聞いていた『気高い人たち』ではなかったのだ。
 2週間が過ぎ、彼らが苦労して得たものは、会議からのすべてのフィルムに対する厳格なる検閲要請の約定だけだった。
「マーロン・ブランドだってそんなに厳しく検閲されないぜ」
彼らは言い、その約定をロンドンに送ったところ、ATVのスタッフは笑い飛ばし、額に入れて壁にでも掛けようなどとふざけ合った。

 これを見ても、政府の手先機関や弁護士たちが、何かを隠していることは明らかで、自分たちの悪事がニュースになって、世界中に流れてしまうのを恐れているのだ。
 撮影隊は意気消沈し、半ばあきらめ、計画を中止しようとしていた。真のホピはもう残っていないのだろう、と。そんな時、ふと彼らの目に止まったのが、『生命の始まりから浄化の日まで』というダン・カチョンバ(Dan Katchongva)著の小冊子だった。
「カチョンバの言葉で、すべてが見えてきたんだ」
そう彼らは語り、その冊子から、部族議会と伝統派リーダーたちは別物であることを知った。彼らはこうして伝統派の協力者を捜すことにしたのだ。


イギリス撮影隊、収穫を撮影

 彼らはジョン、ミナ・ランサ(John and Mina Lansa)、トーマス・バニヤッカ(Thomas Banyacya)、デビッド・モノンギェ(David Monongye)に出会い、彼らと仕事を始めた。ようやく勇気づけられた彼らは、2週間延長して、春の植え付けと、誰にも差し障りのない事柄を撮影し、収穫の時にまた戻ってくると約束して帰って行った。

 9月になると彼らは4週間の滞在予定で戻ってきた。今回は伝統派リーダーたちの承認と協力により、個人を取材することにした。
 彼らは私たちにマイケル・ピアス(Michael Pearce)監督の2本の映画を見せてくれたが、伝統派の人たちにとても受けが良かった。1本は、南海の島の民族が、外からの救いの手によって、逆に生活を破壊されてしまったという話だった。

 ある時ピアスがキコツモヴィ(Kykotsmovi)で郵便物のチェックをしていたところ、部族議会議長のアボット・セカカプテワが警察を送りこんで彼を捕らえ、事務所に連行した。
 ピアスは「撮影隊がオライビ村を撮ったという苦情があった」とセカカプテワに咎められたが、彼はこれを否定し、逆に部族議会が実行不可能な約定を提示して以来、個人レベルでの仕事しかできないと反論した。
 セカカプテワは、もし再び苦情が出れば、フィルムと機材を没収すると脅したが、結局誰からの苦情だったのかは明かさなかった。またある警官は撮影隊のビザのことで面倒になるなどと脅した。
 ピアスは後に、神聖なホピの地に「警察」の圧力があることに驚いたと語った。

 撮影隊に対する行動はホピの伝統を守るためだったというセカカプテワの言葉は、伝統派のリーダーたちが支援に回った直後に嘘であったことが露呈した。ピアスが議長に提出したリーダーたちの同意書は文句のつけようが無いものだったが、それでも議長は「もし問題が起きれば、お前たちをしょっぴく」と言って脅した。

 さて、実際に機材が公に没収されることはなかったが、撮影隊員たちが部族議会の職員にせがまれて写真を撮り、カメラを貸したところ、返してもらうのに相当苦労したらしい。

 ピアスは隊員たちが「伝統派の側についた」という訳ではなく、「ただ映画を撮りたいだけなのだ」と説明した。
 彼にとってそれは、「すべてをありのままに見せる」という意味なのだ。彼は、部族議会がひねくれた脅しの態度で接してきたことをとても残念がっていた。

 このふたつの組織の違いは、イギリス人たちに忘れがたき印象を残したようだ。伝統派には語ることがたくさんあり、一方政府の援助を受ける部族議会は、隠すことが多すぎることを。

 その月の終わりには、撮影隊は村を後にした。人々の協力により、計画のほとんどが完成したことを喜んでいた。
 この映画は、来年早々にも世界中で公開される予定だ。

読者からの便り

ホテヴィラより
「ホテヴィラに住む白人として、大地に根ざし深く浸透した伝統に囲まれ、その中に立つ私は、ほんのわずかな足跡を残すだけの、ただの通りすがりにしかなれないのかも知れません。しかし確かに足跡は残したのです。『テックヮ・イカチ』の最初のページに書かれた、『カトクティ』の内容は白人の悪い面しか取り上げていませんが、私はあなた方の「全人類が深い場所で同じ根を持つ」という意識が、文化の壁や思想の壁を越えて、大自然の調和をもたらすことと信じてやみません」

ユトレヒト(オランダ)より
「『テックヮ・イカチ』を注意深く読み、そして考え、また読み返しました。そしてこう書かずにはいられませんでした。素晴らしいの一言に尽きます!この公報をずっと出し続けてほしいです。『テックヮ・イカチ』は、他で白人やインディアン、非公式な組織が出している新聞のような、嫌悪や暴力、過激な内容が一切書かれていないことが、全く違っていて際立っています。著者の方々の努力がしのばれます。ただホピの考え方を説明することに終始し、考え方の違う人たちのことをコケにしたりしていません。そんな『テックヮ・イカチ』は、全人類に寛大な心で正面から向き合っている、とても誠実で、磨かれ、洗練された公報だと思います。きっと世界中の人々に深い感動を与えてくれるでしょう。心から祝福します!」

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たくさんの手紙をいただきました。
次回をお楽しみに!

( 翻訳: 永 峰 秀 司 All rights reserved. )


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The shield symbol with its four circles in four quadrants means:
"Together with all nations we protect both land and life,
 and hold the world in balance."

4分円の中に4つの円のシンボルの意味

「私たちは全ての国の人々と共に大地と生命を守り、世界のバランスを保つ」