
第1号
『テックヮ・イカチ』とは
この公報はこの種のものとしては初めてのもので、伝統派ホピ族のものの見方を定期的に紹介してゆくものだが、特に今、世界中でホピ族の未来と悲運に関心を寄せる考え深い人たちや、ホピ族はじめすべてのネイティヴ・インディアンの若者の教育に役立つことだろう。
私たちは、伝統派ホピについての間違った認識を修正しなければならない。これまでに書かれたり、語られたりした私たちの姿は、ホピの生き方に反することをしてきた人たちの手によるもので、不滅のホピの教えを大きくゆがめたものだからだ。
この会報によって、今の子供たちがホピの生き方を見直し、長老たちを嫌うのではなく、理解するようになれば幸いだ。私たちは無理強いしようとは思わない。ただ幾世紀にもわたってホピ族が生き残る道を照らし、心を満たしてくれた教えを広めたいだけなのだ。
そのためには多くの疑問を明らかにしなければならないし、多くの人にとってはバカバカしいものかも知れないが、私たちはすべてをそのまま受け容れてほしいとは思っていない。物事には限界というものがあり、極めることができるものは少ないからだ。しかし人はここから何かを学ぶことができるだろう。
なぜホピは分裂したのか
私たちが今置かれている状況を見てみよう。かつてホピ族は結束固くまとまっていたのに、それがなぜ分裂してしまったのだろうか。どう分裂したかというと、『伝統派』、『先進派』、『中間派』の3つだ。
『先進派』とは、白人の宗教を受け容れ、高等教育を受けた者が多く含まれるグループで、自分たちの伝統や宗教にあまり関心を示さず、中には儀式に全く参加しない者もいる。彼らは伝統とは無縁の、より地位の高い役職につき、威張り散らし、ある意味でホピの教えを拒否しているのだ。
『中間派』とは、ホピの宗教と伝統を重んじ、儀式には参加するが、同時に新しい文化に適応できると信じ、『先進派』を支持する人たちだ。中には「ホピ部族議会と称するもの」のメンバーになっている者もいる。
これら両グループとも、『先進派』がすべてのホピの村、ホピの民をとりまとめているものと考えている。彼らはまた、物事の決定は、合衆国政府のBIA(インディアン局)のもと、裁判所、刑務所が備わった機関で、裁判官、弁護士によってなされるべきだと考えているようだ。
さて『伝統派ホピ』とは、創造主あるいはグレイト・スピリット(偉大なる精霊)によってもたらされた古来の教え、掟をかたくなに守る者たちだ。彼らにはこれこそが最も大切なことなのであり、この教えから外れることは、生きるのをやめることと同じなのだ。ホピにとって生命と自然とは全く同一のものなので、自然と調和し、バランスのとれた生活を送らねばならない。地球とその見えない力に注意を傾けることが、環境を守る基本となるのだが、そのためには、悪の力が及ばず、どこからも邪魔が入らない所で、最高度の集中力の中で宗教儀式を行わねばならない。
このような理由で、『伝統派ホピ』たちは、正しい指導者の支持を得ないままに『先進派』が進める、すべての文化改革・環境改革プログラムに反対する。
この意志決定は、他のどの民族がここへ来るよりも前に、グレイト・スピリットとホピとの間に交わされた、この地を守る約束の上に立っており、『先進派』の部族議会を認める訳にはいかないし、いかなる政府に属することも拒否する。特にこの新しい支配制度には。
合衆国の援助を受ける『ホピ部族議会(The Hopi Tribal Counsel)』では、『伝統派』は決して代表となることはなかったし、支持したこともない。私腹を肥やすために自分から進み出たものは別だが。
さて、では一体誰がホピらしい生き方を邪魔したがるのか。そしてそれはなぜなのか。
それはインディアンたちを奴隷としか見ない白人たちだ。彼らはインディアンが持っている物をほしいがために、インディアンを改宗させ、時には殺害さえしたのだ。しかもそれにも飽きたらず、人々を操り、資源を手に入れるためにBIA(インディアン局)という組織まで作った。
しかしそこに大きな壁が立ちはだかったのだ。頑固だが平和主義の『伝統派』だ。頑固すぎて、武器を手にすることさえしないので、攻撃を受けるといつも一方的な制裁のようにやられてしまう。
いい例が、1906年に起きた『伝統派』のオライビ立ち退き事件だ。合衆国政府上層部は、私たち部族の中に、裏から簡単に操作できる政府を作ればよいと考えた。そしてその期は熟していた。今では多くのホピが教育を受け、予言にもあるように、いつかはホピの子供たちも髪を短くし、長老たちの耳や口となるだろうし、いずれは指導者になると。そこで彼らは『ホピ部族議会』というものを作ったのだ。
しかし政府はここで抵抗に遭った。『伝統派』の支持が得られず、この試みは失敗したのだ。
合衆国政府は、部族議会を復活させるために他に何かが必要だと感じ、弁護士を立てて、『インディアン再組織運動』なるものを起こさせた。これをきっかけにして部族議会が復活し、新しい指導者のもと、全部族は利益を受けられるし、何の制約もなく威厳が保たれると彼らは言った。しかしホピの長老はそれでも首を縦に振らなかったので、会議はまたもやストップした。
そこでまた政府は知恵をしぼり、今度は『ホピ族会(The Hopi Tribe)』という組織を作り「すべてのホピが、新しいリーダー選出の投票をするために、そこに登録しなければならないこと」とした。そこに登録しなければホピとして認めないというのだ。
ホピの長老はまだ首を横に振る。「なぜ新しい指導者を選ぶのか。私たちにはすでに指導者がいる。」
そこで先進派は就職口を用意することで、人気取りをしようとした。多くの若者たちはそれにひかれ、職を求めていた者は何の疑問もなく、流されるままに『ホピ族会』のメンバーとなったのだ。
これが今、私たちが置かれている状況だ。誰がこんなことを始めたのか、分かっている。しかし誰が『伝統派』、『先進派』、『中間派』に分れてしまったホピをとがめることができよう。
このテーマは次回に引き継ごう。
なぜ土地をめぐる争いが起こるのか
合衆国議会は、ホピとナヴァホ(族:Navajo)の土地をめぐる争いを解決するための策をめぐらしていた。しかも当事者である私たちには、全く手の届かない遠い所で。彼らの概念にある『所有』と『管轄』の考え方は、私たちにとっては別世界のものだ。
最近定められた公法案「93-531」では、「2部族間の『部族議会』で交渉すること」となっている。そしてもしその交渉が失敗したら、解決方法は内務省長官に委ねられることになっている。両部族にとって、その概念がさっぱり分からないのだから、まず確実に失敗することは明らかだ。そのうえ、その解決方法には、境界線を引いて柵をめぐらし、ホピとナヴァホを分けてしまうことも示唆されている。
明らかなことは、『ホピ族会』が土地問題を進めるうえで目の上のたんこぶであることだ。過去にも『伝統派』の反対によって実現しなかったことがいくらでもある。ホピとナヴァホの融合運動で、白人法にのっとってホピの土地を再び取り戻そうとした時もそうだった。彼らは、なぜ『伝統派』がかつては敵だったナヴァホと仲直りしようとしたのか、見当もつかなかっただろう。
彼らは「人々のためを思う真のホピの指導者などは、存在しない」と言った。また、「『伝統派』たちは、土地問題を独断で決めようとしており、ホピとナヴァホの部族議会がどれほど苦労しているか知らんぷりをしている」とも。
「さあ見よ!」バハナ(白人:bahanna)の議会は訴える。
「私はホピの上位に位置する首長だ。私の言うことをよく聞け。私が仕事を用意したおかげで、お前たちはたくさんのお金を手に入れ、車やテレビ、そして白人の持つものは何でも手に入ったではないか。正義の行われる法廷や刑務所まで。」
これは確かに良いことのように聞こえるが、彼らは私たちに不利なことは何も明かしていない。
ホピとナヴァホが部族議会で膝突き合わせて、『伝統派』指導者たちが何を求めているのかをじっくり検討すれば、すべてのもめ事は回避できる。彼らは『伝統派』につけこみ、土地を狙うのを止めるべきだ。
自分たち本来の生活をしたがっている者たちを、堕落させるのではなく、自由にさせてやるべきなのだ。ほとんどの者が、伝統ある文化を守りながら、つつましく生きることを願っている。これこそがバハナ(白人)議会が見逃している、最大にして根本的な問題だ。
おそらく合衆国政府は、両部族のいざこざがこれ以上こじれたら、流血の惨事となると考えているのだろう。
しかしホピの予言によれば、「このような場合はナヴァホも私たちに協力するし、バハナやパイユーテ族(Piute tribe)も協力する」とある。合衆国政府は、なかなか私たちの主張を認めようとしない。もしできることなら、ホピ、ナヴァホ両部族の『伝統派』は、融合運動には関わりたくない。それでこそ、両部族は自分たちのアイデンティティを保つことができるからだ。
ホピは白人たちよりもずっと昔にこの大陸にやってきて、伝統と文化に深く根ざした生き方をしてきた。最も重要なことは、永遠不滅の創造主の掟に従ってきたことなのだ。どの部族も元はそうだったはずだ(バハナでさえ)。
だからこそ、『伝統派ホピ』は、ものごとを『多数決』では決めない。その代わりに、世界共通普遍の、人類の伝統によって決めるのだ。バハナ側のホピでさえ、伝統をけなしながらも儀式を行っているのだ。彼らはモルモン教など新しい宗教のもとでは、黄泉(よみ)の国に行くための心のよりどころが得られないのだ。これではまるで風刺マンガだ。
そう、私たちの伝統は数世紀の宗教の歴史を持ち、生活のすみずみまで力強く根付いており、法律で替えられるような代物ではないのだ。
例え話として、ある日エメリー・セカカプテワ(Emery Sekaquaptewa)がホテヴィラにやって来て、「ホピの生活をやめて、子供たちをモルモン教会に行かせ、新しい生活をするので引っ越しする」と言ったとしよう。しかしその言葉とは裏腹に、彼の母親は、伝統の結婚式のためにピキ・ブレッド(piki bread)などの伝統食を準備し、伝統の婚礼衣装を作るだろう。またある日の彼女は、伝統儀式のダンスを見ているだろうし、息子のエメリーといえば、ホピの文化と言葉を人々に教えることで、たくさんのお金を稼いでいることだろう。彼はいつか子供たちがホピ語を話し、その伝統を教える学校がほしいと言っていた。
伝統とは一体何なのか。私たちはそれは『力』だと思い至った。
ホピにとってそれは、バハナの破壊的な力をはね返し、独立を守るバリアのようなものなのだ。「部族議会と称するもの」は、このことの重要性に気づかず、土地を貸し、金儲けをし、侵略のために道を舗装してしまった。彼らが行った中でいちばん幼稚だったことは、モルモンの弁護士に莫大な金額のクリスマスプレゼントを贈ったことだ。そしてまるで反乱のような騒ぎで、『伝統派』のことを「白人の服を着ることのない、白人の作ったいかなる物も使う資格のない、ふんどし姿でロバに乗った原始人」だとさげすむのだ。
こんなことを言われるのは悲しいことだが、彼らもいつか壁にぶち当たり、伝統のもとに逃げ帰ってくるだろう。私たちはそのような彼らを追い返すつもりはない。
さて、『ホピ部族議会』は、土地問題に取り組んでいるが、『真のホピ』を知らずして、問題を乗り越える道は見つからないだろう。ホピとしての自覚を促す活動は、学校でも行われている。ホピの子供たちは、ホピの言葉を話し、ホピのダンス、習慣を必須科目として学んでいる。
しかし今部族議会がいくら伝統を重んじても、真のホピの知ったことではない。彼らには真のホピを減らし、根絶しようと企んでいる事実があるからだ。そのうえ廃棄された遺跡の方を守りながら、実際に使われている儀式場であるキヴァ(kiva:地下儀礼所)を作り直して、ホピの魂をそっくり入れ替えようとしているし、その間にも議長や弁護士たちは、反対グループや資源を利用する策略をねっているのだ。
彼らが本当に伝統儀式を守ろうとしているのかは疑問だ。なぜならば彼らはバハナのクリスチャンだからだ。彼らにとって儀式やキヴァ、社(やしろ)は異教徒の悪魔のためのもの、タブーのはずだ。それなのに、お金になるものなら喜んで認めてしまうのだ。
彼らは私たちが『バハナ伝統派』と呼ぶ、『偽伝統派』の数人に対し、伝統に精通しているなどとほめたたえ、役職を与えて手中に納めている。バハナの政治のことも知らず、文字さえ読めない者もいるというのに、重大な決定をしたり、法を制定する場に出席させるのだ。部族議会は一院制なので、投票はほとんど『はい』で、『いいえ』など滅多にないうえ、その審議も「どれだけ甘い汁を吸えるか」にかかっているのだ。
彼らがどうやって選ばれたのかも不明だ。オライビの場合、代表者は村の誰からも支持されていないのに、自分から名乗り出たのだ。部族議会の役人には給料が支払われるからだ。
『バハナ伝統派』はただの下級役人か、『伝統派』には全く認められていない者たちだが、外向きのイメージ作りには役立っている。真のホピから見れば、彼らがしていることは誤った意見を述べることや、部族議会が「『真のホピ』とは、現役の伝統派リーダーたちの、程度の低い意見に従っている者たちで、彼らとは違う種類のホピだ」と外部に向けて説明する時の広告塔になっていることくらいだ。しかしそのような個人レベルの影響力はホピの伝統の前では無に等しい。
彼自身もバハナの世界に入る前には、長老たちから本来のホピの教え、智恵を授かり、どんな時にはどうすればよいか、すべて教わったことだろう。そして彼は創造主の教えを守らずにはいられないだろう。彼の職務には、人々を死ぬまで導くための力と権限を守る、聖なる誓いが立てられている。その誓いに背くことは、グレイト・スピリットや宗教、そして人々に背くことになるのだ。
真の伝統派ホピ指導者は、職務に対してお金は受け取らないし、より強く、より深く本来のホピに貢献するのだ。彼にとってはホピがこの世に現れた時から今日まで、教えや決まりは変わっていないし、これからも変わらず、結果はどうであれ予言に従うだろう。彼は創造主がどんな救いをよこすか知っている。もしどこからも救いが来なければ、大自然は私たちを滅ぼすだろう。もし何も起こらなければ、ホピが間違っていたことになる。私たちが知っているのはここまでだ。
柵をつぶせ。村人たちが言う
最近、『伝統派』の意に反し、ホピの土地を柵で囲ってしまおうという動きがあった。ちょっと見ただけでは本当のことは分からなかっただろうし、ホピ族会のニュースなどでもきちんと説明されていなかったが、実際、この柵問題の背後にいる一派というのは、1800年代終盤に初めてホピの地にやって来た政府役人にまで、その源をさかのぼることができるのだ。警察まで動員して強制的に白人、バハナのやり方を押しつけようとした時代だ。
初めはすべての村が役人への協力を拒んだが、圧力が大きく重なるにつれ、ひとりまたひとりと折れていった。とうとうたまらなくなったいくつかの村から酋長たちが出てきて、歩み寄りを求めてワシントンD.C.に赴いた。そして合意書にサインしたのだが、それは白人の文化を受け容れ、子供に教育を受けさせる、などといった多くの条件が付いたものだった。
そしてこの時点でベア・クラン(Bear Clan:熊氏族)とファイア・クラン(Fire Clan:火氏族)の間の対立は深刻なものとなった。
ファイア・クランの酋長ユキウマ(Yukiuma)とその一派には、この行為が創造主の掟を破ることのように思えたのだ。詳しくはいずれどこかで述べるが、創造主は、ベア・クラン酋長のロロルマ(Lololma)の「民を率いる力」を取り上げ、ロロルマ自身は死ぬまでその力を失ったことは認めなかったものの、ここで後継者タワカプティワ(Tawaquaptiwa)が登場した。彼は掟に従わなかっただけではなく、警察まで味方につけて、ユキウマとその一派にバハナの文化を押しつけようとした。
しかしユキウマは創造主の教え通りに生きる道をゆずらなかったために、捕らえられ、拘束されてしまったのだ。
1906年、タワカプティワはとうとうファイア・クランを村から追い出し、同時にユキウマに権力の一部を譲った。そしてタワカプティワの力の及ぶ範囲を村と村の周辺に限るとし、残りの土地をユキウマの力の範囲とする、いわば『隔離策』を取ったのだ。
こうしてタワカプティワはワシントンに借りを作り、すべての子供たちを無理やりバハナの学校に入れ、白人の生活様式と宗教を押しつける者たちと手を組んだのだった。
ユキウマと一派は、現在ホテヴィラ(Hotevilla)と呼ばれる土地に落ち着いた。彼らの目的は、外部からの干渉を受けずに、創造主の掟を守り続けて生きて行くことだった。
数年後、オライビ(Oraibi)との交流は再開されたが、オライビの下に新たにできたニューオライビ(New Oraibi)やバカビ(Bacabi)といった村との問題は残されたままだった。これらの村には、ホテヴィラの人と一緒にオライビから抜け出して帰れなくなった人など、やっかい者が集まっていた。
バカビの村はホテヴィラの傍にあり、サンド・クラン(Sand Clan:砂氏族)のカワネプティワ(Kawaneptiwa)の指導下にあった。彼もまたタワカプティワと同じく隔離策を取ったが、ユキウマの名を騙りホテヴィラの土地に教会や学校を造る許可まで与えてしまった。
さて、『伝統派ホピ』たちが、やっと平和に暮らすことができると思った時に、合衆国国会が「インディアン再組織法案」を通過させてしまった。その法案では『ホピ族』は人間が作った法律の下に置かれ、合衆国政府と警察にとって都合良く作られたものだった。彼らが賢いのか、正しいのかも分からないのに。
彼らは何かにつけ、私たちの弱みにつけこもうとしたが大してうまくいかなかった。
現在、ホテヴィラの地を柵で囲うか、あるいは『ホピ族もどき』が放牧している牛を追い出すかでもめている。ホテヴィラの民は、土地は彼らのものであって、柵で囲うことは許されないと訴える。一方『ホピ族もどき』は、柵を作れば牛も入れないので、問題は解決すると言う。
しかしここで伝統派ホピは“No!”と言う。「もし柵で囲えば、お前たちはその土地を自分のものにするだろう。お前たちが牛を連れてどこでも好きな所へ行けばいいのだ。」
『ホピ族もどき』は、これはほんの一時的なことだと主張する。しかし伝統派は、柵は権力の象徴となり、土地の所有権を示す印となってしまうので、これはホピにとって一時的なものとして見過ごすわけにはいかないと言う。
会議ではお互いの利益について理解を深めるため、さまざまな方向から話し合ったが、心の違う者同士のこと、それは無駄に終わった。最後には監督官が怒って立ち上がり、「賛成しようが反対しようが、柵は作らせてもらう。結果については私が責任を取る」と言い残して、立ち去ってしまった。
彼が伝統派指導者の支持も得ず、アドバイザーや会議メンバーに相談もせず、その場でそう決めてしまったことが正しかったのかどうか、それが問題だ。あるいは、結論は始めから出ていて、事実がどうかということなど関係なかったのかも知れない。
会議はこれで終わってしまい、人に対しても法に対しても何の配慮もなしに、攻撃側にゴーサインが出てしまった。ホピは自由な土地を奪われるかもしれないが、どんなことになろうが、最後まであきらめず、こう言おう。
「フェンスなんか破り倒せ。いつでもかかってこい!」
***********最後通告**********
以下の最後通告は1975年6月30日、アリゾナのキームズ・キャニオン(Keams Canyon)のホピ・インディアン局責任者、アルフ・セカクク(Alph Secakuku)に通告されたものだ。
拝啓
貴殿はインディアン事務局の代表として、現在起きている、ホピの生活をおびやかしている問題に責任がある。貴殿の関係組織である「部族議会と称するもの」は、土地を柵で囲うことに強く反対する私たちの意志を、またもや無視した。
貴殿は私たちの賛同も得ず、権力をもって侵略したうえ、柵を建て、またもや『伝統派ホピ』の民の土地を汚したのだ。
何度反対すれば分かるのか。これまで再三私たちが述べてきたことを見れば、私たちの考えは充分に理解してもらえるものと思っていたのに。
私たちの英知にかけて言う。この軽率なひとりよがりの決定は不当なものだ。
村の一員でもなく、代表でもなく、村の自治に干渉できる立場にない貴殿が、この土地に対して行ったことを強く非難する。
貴殿の行いは、貴殿とその関係組織である「部族議会と称するもの」が「私たち低級の伝統派ホピとの交渉をあきらめた」と見なされても仕方ないものだ。
もし貴殿が責任者なのならば、すぐに柵の撤去をするよう要請する。私たちは貴殿の「今少しの間だけ」という言葉を信用しない。8月までに撤去してもらう。
もしそれができなければ、私たちは隠れもせず、堂々と柵を撤去する。そして私たちは、貴殿と、国民と、世界に向けて、私たちがいつ行動を起こすかを広く通知する。
敬具
ホテヴィラ独立村・伝統的宗教指導者:
デヴィッド・モノンギェ(David Monongye)
ポール・セウェマネワ(Paul Sewemanewa)
アモス・ホウェサ(Amos Howesa)
ルイス・ナハ(Lewis Naha)
この書簡は内務省長官(ワシントンD.C.)、BIA(インディアン局)長官(ワシントンD.C.)、ホピ部族議会(オライビ、アリゾナ)その他、関心を持つ人々に送付された。

グレイト・スピリットの治める平和か、政府の警察か
私たちホピは、時の始まった時から何千年にもわたって伝わる、創造主の教えによって決められた生活を送っている。
すべての予言は実現してきたが、中でも「自分の考えを力ずくで他人に押しつけるようになるだろう」という一節が今私たちに大きくのしかかっている。予言通り、この「業」が大きくなりすぎたために、人類は自滅の瀬戸際まで来てしまった。
人々の中には、他人と正面切って向き合うことを恐れたり、面倒がる人がいる。そのような人は、替わりに自分の意志を警察に託してしまい、報酬を受け取ることまである。自分勝手な人ほど、こんなことをしたがるものだ。
彼らは、そうすることによって問題を簡単に解決できると思っているかも知れないが、それが彼らの周囲の人や将来の子孫たち、そして彼ら自身にとって、どれほど害があることなのか、全く分かっていない。そしてその味をしめたために、気づかぬうちに大きな力に巻き込まれてしまうのだ。自分勝手なことをすることによって、その報いは自分に返ってくるのだ。
彼らは盲目なのか、あるいは直視するのが恐いのか?
真のホピは決してそのような下らない生活は送らない。
尊敬されるには良い模範が必要
−1975年4月24日の『カトクティ(Qua'toqti:政府手先の新聞)』にあった論説について−
尊敬されるためには良い模範が必要だと言うが、数え切れない世代にわたり私たちの生命を受け継いできたホピの祖先たちが用意した模範に従っているのは、誰なのか。長い間グレイト・スピリットの導きに従って生活してきた今日のホピは、もしかしたら現代文明の破壊的な圧力に屈することなく、生き延びるかも知れない。
もし長老たちを批判してきた者たちが、その模範に従っているならば、大地はまだ楽園のままだ。しかし今の世界の姿は、決して模範に従ってできたものではない。
第一段落の、「…まるで前にも起こったかのように…」の一節は、自らの伝統と嫌悪感、不安感に飽きてしまった証拠だ。彼らが、長老たちの『弓型の頭』を見て低級のバカだとののしるのは、まるで子供じみている。『弓型の頭』は、智恵と知識を象徴しているのだ。この地球上で最も偉大な人たちは、今でも集中力を高めるための訓練を怠らない。
なぜならば、心とはあらゆるものを動かす『偉大なてこ』だからだ。人の心は、世界がどういう風に終焉してしまうのかのカギを握っているのだ。
牛とトウモロコシ畑のことについて会議があったのだが、それについてはこの論説では触れられていない。ホピの人たちは、その問題を理解できるようによく分析してほしいだけで、問題を起こした者に対するケチな中傷だけで片づけてほしくない。そこに書かれてあったのは、「誰もが反対勢力と妥協したいとは思っていない」というしごく当たり前のことだけだ。おそらくその一文がこの論説の性格をよく表しているといえよう。
またそこには、「若者たちは起こりもしないと分かっていることを、じっと座って、耳をそばだて、待っているだけだ」と書かれてある。長老たちが深く関わってきた予言が、次々と実現してきたことを目の当たりにしながら、どうしてそこまで目をつぶっていられるのだろうか。
私たちは「ホピの哲学は素晴らしく、常に変わらぬ手本を示してくれる」という記述には同感だ。時間が始まった時から、ホピがその手本に従って生きてきたことは素晴らしいことだ。すべての人々の土地と生命が生き延びられるかどうかは、その生き方にかかっているのだ。
私たちはそれがいつまでも立派なものであってほしいが、人々がその手本に反対することをやめない限り、願いはかなわないだろう。
この論説では、なぜ問題が同意にいたらないのか、詳しく解説できていないが、『伝統派』がはっきりしておきたかったのは、何回も同じことを繰り返すが、土地を柵で囲うことに反対なのだ。その計画はあまりにもずるいもので、進歩の名のもとに、何も考えずに大地と生命を破壊するものだからだ。住んでいる者たちの意に反して、大地を使い、いじくり、一旦押しつけたら最後、反対があろうがそのまま続けようとする。
もちろん私たちは創造主の示された「栄光の」ホピ哲学と教訓という節は同感だ。ひとりひとりのホピは、その中に生まれ、それをもとに育ち、それを神聖なものとあがめ、やがて体の一部となり、決して手放せないものとなるのだ。もし世界の指導者たちが、その教え、憲法、規律に従って人を導くなら、長老たちへの尊敬の念は今でも存在するといえよう。
部族議会が自分たちの私腹を肥やすためなら自らの法律さえ守らないことを、私たちは知っている。白人の法律に照らしても違法なことをしているのだ。彼らはいにしえのホピの教えは消えてしまったと言い、合衆国憲法を隠れミノにしているのだ。
『伝統派ホピ』は、ただ自分たちの生き方を貫きたいだけなのだ。
これまで彼らは「若者たちには、将来役に立つことを経験させよ。人に迷惑をかけることもなく、ダメならすぐにやめればいい」と主張してきたが、あいにく部族議会の未熟な行動が裏目に出て、元に戻すことが不可能でないとしても、困難なものであることが露呈した。
『先進派』は、ホピの老人たちが若者に冷たく当たっていると嘆くが、私たちはこのような態度をとっている方が、彼らが次の一歩を踏み出す時に、自分の頭で深く考える人間になると思うから、そうしているのだ。
ホピをとりまく世界がめまぐるしく変化していることは分かっている。地球も人類も。人はそれぞれ自分を変えてゆく権利を持っていて、誰もそれを邪魔することはできない。ひとりひとりの個人の問題だ。それは同時に、もし人が正しい道を見つけたら、その道を変えないことも自由ということなのだ。
この論説では、ホピの道は消えてしまったような書き方をしているが、それは全く反対だ。ちゃんと生きている。若者たちを圧迫しているのは、『伝統派』が反対運動しているからではなく、部族議会が彼らを経済社会に巻き込み、失業したら困るような生き方におとしいれたからだ。ほとんどのホピ労働者の賃金は最近どんどん減ってきている。そしてつけがたまり、仕事がなくなると酒に溺れるようになるのだ。
今や「金がすべて」のバハナの文化が、私たちをどこに導くのか明らかだ。若者をその悪循環から救い出し、自分たち本来の生き方に立ち帰らせるのは会議の責任だ。
確かに豪勢な品物が手に入ることを約束して人を釣るのは簡単だが、それがいつもそんなに甘いものでないことは断言できる。
論説にあるように、もし指導者の格付けが何人従えているかで測られるならば、そしてもし人々が真の指導者について黄泉の国に行くものだとしたら、すでに私たちには真の指導者たちが存在する。私たちは彼らについてオールド・オライビ(Old Oraibi)を出て、黄泉の国へ来たのだ。そこがホテヴィラだ。私たちは彼らに全権の信頼を寄せている。それが黄泉の国でないことを願うが、彼らにはどこまでもついて行く。なぜなら彼らの示す道は、バハナが押しつけようとしている道よりはるかに賢い道だからだ。私たちは信頼していると同時に心意気を持っている。
部族議会に従った連中でも、黄泉の国には行きたくないはずだ。
しかし彼らは若者たちに長老への疑いを抱かせるよう仕向けている。若者たちを長老から引き離すつもりなのだ。
彼らはまた、外の世界に向けてホピ族の酋長、指導者と偽って、『伝統派』の指導者の言葉をねじ曲げてしまった。例えば、『伝統派』が部族議会のことを「独裁的」だとして不満を表した時、彼らの論説では曲解された内容になっていた。
もし「妥協しない態度」のことを「独裁的」と呼ぶならば、それはある意味でリーダーシップにとって必要なことで、『伝統派ホピ』に限らず、世界中のリーダーたちも持っている。
私たちがそこで「独裁的」と言ったのは、そういう意味ではなくて、部族議会や合衆国政府が人々に相談もなく勝手に土地を分け、間違った使い方をしているといった「無理強い」のことをそう呼んでいるのだ。
たとえ会議がホピの指導的立場の代表として出てきても、決してそうではない。ただ「独裁的」なことをやっているだけなのだ。
ホピの儀式社会における聖職の地位を政治に使うのは間違ったことだ。伝統派はそんなことはしない。役職に就くことがあっても、それはグレイト・スピリットの予言、教え、指示を広めるためだ。生きるために大地と生命を守ること、それは誰もがしなければならないことだ。
私たちがホピの生き方にこだわるのは、それが根の深い、不変のものだからだ。これは「政治」などではなく、時の始まりから生き抜いてきた「生きる術」なのだ。他の国の人々も地球を守る誓いを立てていることだろう。ホピには誓いを守る義務がある。バハナも同じはずだ。それなのにバハナは、今や人間が作った法律を守る義務に縛られてしまった。もし本来の誓いを忘れたのなら、それは自分自身が堕落するだけでなく、地球を傷つけてしまうことになる。
論説に、「昔あった緑の谷や肥沃な土地がなくなったのは、教えを授けてくれなかったせいだ」とあるが、それはおかしい。それらの教えは、伝統派が常々彼らとの会合で述べてきたことだ。伝わらない原因は、記事そのものがそれを隠しているからだ。もし『カトクティ』の編集者が少しでもホピの人々の役に立ちたいと思うなら、教育をあまり受けていない者のために、言葉を易しくすべきだ。
緑の谷や肥沃な土地がなくなったのは、聖職者だけではなく、『伝統派』に反対する指導者たちの責任でもある。彼らが人々の霊性を曇らせてしまったために雨も降らなくなったのだ。彼らの圧力が生命の自然の流れを阻害しているのだ。
そしてとうとう人々は道を踏み外してしまった。多くの人がホピの道を去り、外国の宗教に移った。儀式に参加する者でさえ、酒や薬を使い、畑仕事をせず、ホピ語を話さず、ホピの考え方をしなくなった。いくら主張しようが、彼らはもうホピではない。
では一体何なのだろうか。
私たちは、『ホピ(Hopi)』という名前にかけて、生き残りのために戦っている。それは簡単な4つの文字の言葉なので、今までその意味を調べる機会もなかった。その意味は、おそらく真のホピが地上からいなくなって初めて明らかになるだろう。

何か素晴らしいことを分かち合おうとすると、必ずねたむ者が出てくる。慎ましく、おとなしいホピが持つ、素晴らしいものを盗もうとする者がいるのだ。ホピの名そのものを盗もうとするか、あるいはその意味を抹消しようとしているのだ。
しかし彼らの本当の敵は「ねたむ心」に潜んでいる。ホピの豊かさは、そのひたむきな「生きざま」にこそあり、それは誰も奪うことはできないからだ。
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『テックヮ・イカチ−大地と生命−』はホピ独立国のホテヴィラ村の伝統派指導者によって出版される公報で、質問や意見を歓迎する。
全人類は突き詰めると、ひとつの根源を持っている。だから、私たちは「伝統的な生活と世界平和の維持」をテーマとした、他の村や他の国からの論文やメッセージを取り上げて考察してゆきたい。
スタッフ:D・モノンギェ(D. Monongye)、J・ポンガエスバ(J. Pongayesva)、P・セウェマネワ(P. Sewemanewa)、D・エヴェヘマ(D. Evehema)、A・ホウェサ(A. Howesa)
この公報は皆さんの寄付によって発行することができます。次号以降を希望される方は、名前と住所をお送りください。寄付については後ほど案内します。
TECHQUA IKACHI P.O. Box 257
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( 翻訳: 永 峰 秀 司 All rights reserved. )

The shield symbol with its four circles in
four quadrants means:
"Together with all nations we protect both land and life,
and hold the world in balance."
4分円の中に4つの円のシンボルの意味
「私たちは全ての国の人々と共に大地と生命を守り、世界のバランスを保つ」