話のはじまり  

 1979年8月、大学での民俗学の課題レポートを作成するため、愛車ヤマハDT250(写真)にまたがり快晴の大台ケ原を訪れた。

 ここに『大台教会山の家』という、かつての大台の開拓者が建てた教会と山小屋がある。そこに 田垣内 政一(たがいと まさいち)さん というお爺さんがいて、毎夜宿泊客を集めて大台ケ原の言い伝えを聞かせてくれるというので、その話をレポートすることにしたのだ。

 早朝大阪を発ち、大台ケ原山頂駐車場に着いたのは午前8時半。空は青く澄み渡り、日差しは強いが絶好の山日和だ。

 早速『大台教会山の家』を訪ね、宿泊客ではないが『お爺さんの話』を聞かせてほしいと頼んだところ、表で薪割りをしていた人が、
「夕方7時頃に来なさい。懐中電灯を忘れずに」
と言って快く応じてくれた。

 時間がたっぷりあったので、周遊路をぶらぶらと一巡りすることにした。
 最高峰『日出ケ岳』(ひでがたけ)からの見晴らしは素晴らしく、眼下に樹海が広がり、空にはところどころに雲が浮かび、その下の霞の奥に太平洋がキラキラと輝いている。

 木々が枯れて明るく開けた『正木ケ原』(まさきがはら)が、森のなかにぽっかりと現れ、立ち枯れした木々や倒木が、豪雨や風雪に磨かれたのか「真っ白な木の骨」といったかっこうになっていて、深い緑の森と真っ青な空を背景に、鮮やかに映える。

 一本一本の造形の違いを眺めながら、驚くような元気な声で歌うコマドリのさえずりを楽しみ、しばらく歩くと『牛石ケ原』(うしいしがはら)に出る。短い笹の絨毯を敷き詰めたような草原だ。
 草原の真ん中あたりに、昔人々を困らせていた『牛鬼』を封じ込めたという伝説のある『牛石』が鎮座している。

 周遊路には見どころが多く、時間と疲れを忘れる。眼もくらむような絶壁の峡谷をはさんで、対岸に3つの大滝を望むことができる『大蛇ぐら』(だいじゃぐら)、シオカラ谷を経て、駐車場に戻ったのは午後3時だった。

 午後からは毎日雨が降ると聞いていたので、単車にカバーをかけた途端、いきなり大粒の雨が降りだした。雨粒の大きさは想像を超えるもので、一粒で手のひら全体を濡らしてしまうほどだ。
 今夜の宿となるバス待合所の窓から、すでに土砂降りとなった雨と、谷から立ち昇ってくる霧を眺めていると、長い間人間の侵入を拒み続けてきた『魔性の棲む山、大台ケ原』を感じてしまうのだった。

 簡単な夕食を済ませ、小降りとなった雨の中、午後7時ちょうどに山の家を訪れた。
 20畳くらいの部屋に、すでに30人程の老若男女が集まっていた。年季のはいっていそうなスベスベの床板の上に、各々自分の座る場所を確保して、思い思いの姿勢で落ち着いたところで、奥の部屋から名物のお爺さんが出てきた。

 開拓者というからには、かつて屈強な若者だった名残のある大男を想像していたのだが、眼の前に現れたのは、やさしそうな小柄なお爺ちゃんだった。(写真)
 そのお爺ちゃんが、部屋の明かりを消して、頭の上にランプをひとつだけ灯し、額に汗しながら、力強く、面白く語ってくれたのが、これから紹介するお話である。

 

大台ヶ原の狸

尾鷲辻の馬

伯母峰の一本足 (いっぽんだたら)

大台のお爺さんからのメッセージ